共同創業者間の暗黙の期待値を言語化する:見えないズレを防ぐ実践的アプローチ
スタートアップを共同で立ち上げる際、明確な契約や役割分担は不可欠ですが、それだけでは避けられない潜在的なリスクが存在します。特に、経験豊富な経営者同士が組む場合、「言わずとも分かるだろう」「プロなのだから察してくれるはずだ」といった前提から、お互いの「暗黙の期待値」や「不文律」が見過ごされがちになることがあります。
これらの暗黙の要素は、最初は些細なすれ違いであっても、時間と共に蓄積され、信頼関係にひびを入れたり、重大な対立の火種となったりする可能性があります。本記事では、共同創業者間の見えないズレ、すなわち暗黙の期待値や不文律をいかに発見し、言語化し、健全な関係維持のための土台とするかに焦点を当て、実践的なアプローチを解説します。
なぜ暗黙の期待値が問題となるのか
共同創業者間の暗黙の期待値とは、明文化された契約や合意には含まれないものの、「こうあってほしい」「当然こうするだろう」とお互いが無意識のうちに抱いている規範や願望のことです。例えば、以下のようなものが挙げられます。
- 働き方に関する期待: 特定の時間帯は常に連絡が取れること、休日も必要に応じて働くこと、仕事量に関する暗黙のノルマなど。
- 意思決定スタイルに関する期待: 詳細なデータに基づいた判断を重視すること、直感を信じること、特定の人物が最終決定権を持つことなど。
- 情報共有に関する期待: 全ての情報を常に共有すること、必要な情報だけを適時共有すること、ネガティブな情報も包み隠さず伝えることなど。
- コスト感覚やリスク許容度に関する期待: 投資判断の基準、固定費への考え方、失敗への許容度など。
- 関係性に関する期待: プライベートと仕事の切り分け方、フィードバックの頻度や形式、意見の対立があった場合の態度など。
経験豊富な経営者であればあるほど、自身の過去の成功体験に基づいた「当たり前」が存在します。しかし、その「当たり前」は、相手の経験や価値観から見ると全く異なる可能性があります。この「当たり前」のズレが、言語化されないまま放置されることで、期待が裏切られたと感じたり、相手の行動に不満を抱いたりする原因となります。
暗黙の期待値を言語化するためのアプローチ
では、どのようにしてこれらの見えない期待値や不文律を言語化し、健全な関係構築に繋げていけば良いのでしょうか。重要なのは、「対立を避けるため」ではなく、「より強固な協力関係を築くため」という前向きな姿勢で臨むことです。
1. 定期的な「期待値すり合わせ」セッションの実施
形式的な経営会議とは別に、定期的(例えば月に一度、または四半期に一度)に、お互いの働き方や考え方に関する「期待値」について話し合うための時間を持つことをお勧めします。アジェンダを設けず、以下のような問いについてフランクに話し合う場とします。
- 最近、お互いの仕事の進め方で「あれ?」と感じたことはありますか?
- 今後、どのような情報が共有されると助かりますか?
- 特定の状況下で、お互いにどうあってほしいという期待はありますか?
- 私たちの意思決定プロセスについて、改善の余地はありますか?
- お互いにとって、譲れない仕事上の価値観は何ですか?
この際、非難めいた口調や断定的な表現は避け、あくまで「私」を主語にした「私はこう感じた」「私はこう期待している」という形で伝えることが重要です(Iメッセージ)。
2. チェックリストやフレームワークの活用
話し合うべき項目を見落とさないために、簡単なチェックリストやフレームワークを作成、あるいは活用することも有効です。例えば、以下のような分類で質問事項をリストアップしてみます。
- オペレーション:
- 連絡手段(メール、チャット、電話など)と緊急度に応じた対応時間
- 報告・連絡・相談の頻度と内容
- 会議のスタイルと頻度
- 各自の業務時間と休息に関する考え方
- 戦略・意思決定:
- 重要事項の決定プロセス(誰が最終決定するか、合意形成のレベル)
- 新しいアイデアや方向性へのオープンさ
- リスクテイクに関する考え方
- 文化・人間関係:
- フィードバックの形式と頻度(ポジティブ、ネガティブ両方)
- 意見の対立時の建設的な解消方法
- 仕事とプライベートの境界線
- チームメンバーへの期待値
これらの項目について、それぞれがどのような期待を持っているかを書き出し、照らし合わせる作業を行います。
3. 具体的な行動レベルでの言語化
「コミットメント」や「責任感」といった抽象的な言葉だけでなく、それが具体的にどのような行動を指すのかを言語化します。「コミットメントがある」とは、例えば「期日までに必ず報告する」「問題が発生したらすぐに共有する」「困難な課題から逃げずに取り組む」といった具体的な行動として定義することが重要です。
4. 記録と定期的な見直し
話し合った内容や合意したことは、議事録として残すなどして記録しておきます。これは法的拘束力を持つものではなくとも、お互いの認識を確認し合うための大切な資料となります。また、事業フェーズの変化や組織拡大に伴い、暗黙の期待値も変化していく可能性があるため、一度話し合えば終わりではなく、定期的に見直し、必要に応じてアップデートしていくことが不可欠です。
ケーススタディ:小さなすれ違いが大きな溝に
架空のケースを考えてみましょう。共同創業者A氏(技術系バックグラウンド)とB氏(ビジネス系バックグラウンド)が事業を立ち上げました。A氏は技術的な完成度を重視し、細部にこだわり時間をかける傾向があります。一方、B氏は市場投入のスピードを最優先し、まずはプロトタイプを迅速にリリースして検証することを重視しています。
契約では役割分担は明確でしたが、日々の開発スピードや品質に関する「暗黙の期待値」が異なっていました。A氏は「良いものを作るには時間がかかるのは当然だ」と期待し、B氏は「市場のチャンスを掴むにはスピードが最優先だ」と期待していました。
これが言語化されないまま、B氏はA氏の進捗に不満を感じ、「もっと早くできないのか」と暗に催促するようになり、A氏は「自分の技術を信頼されていない」と感じ、不満とモチベーションの低下を招きました。結果として、お互いへの不信感が募り、コミュニケーションが滞り、事業の遅延だけでなく、関係性自体が悪化してしまいました。
もし彼らが初期の段階で、開発スピード、品質基準、そしてそれに対するお互いの「期待値」を言語化し、それぞれの考え方の背景を共有し、どこでバランスを取るか合意できていれば、このような状況は避けられたかもしれません。「まずはMVP(実用最小限の製品)を市場に出すことに集中し、次のフェーズで品質向上を図る」といった具体的な行動計画とセットで期待値をすり合わせることで、共通認識を持つことが可能になります。
まとめ:見えないズレを放置しない経営戦略
共同創業者間の暗黙の期待値や不文律のマネジメントは、契約書や資本政策といった形式的な合意と同じくらい、いやそれ以上にスタートアップの成否を左右する重要な要素です。経験豊富な経営者であるがゆえに、「言わなくてもわかるはず」という思考に陥りやすい危険性を認識し、意図的に言語化の努力をすることが求められます。
定期的な「期待値すり合わせ」セッション、チェックリストの活用、具体的な行動レベルでの言語化、そして記録と見直し。これらの実践的なアプローチを通じて、共同創業者間の見えないズレを早期に発見し、建設的な対話へと繋げることで、より強固で信頼に足るパートナーシップを築き上げることができます。これは単なる人間関係の維持に留まらず、変化の速いスタートアップの世界において、迅速かつ柔軟な意思決定を行うための強固な土台となるのです。